ドイツルネサンス美術Ⅱ
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ルネサンスはイタリアから始まり、そこからヨーロッパへと広がりを見せました。イタリアルネサンス美術の特徴はローマ教皇に向けられた芸術だということです。
たとえば、ルネサンスが興ったとされるイタリアフィレンツェの画家ミケランジェロはローマ教皇であるレオ10世をパトロンとしサポートを受けていました。教皇のサポートがあったからこそのバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂にあるあの有名な「最後の審判」が描かれ、後世にミケランジェロの名が残ったのです。
教皇はその当時免罪符(贖宥状)を市民に買わせ、大儲けしていました。免罪符とは「買ってくれたらあなたの煉獄にいる期間を短くするよ~」などと嘯き、魂の救済をお金で買うというものです。14世紀ごろヨーロッパでは黒死病が流行っており、常に人々は死と隣り合わせ、その死の恐怖から逃れまいと免罪符はたくさん発行されてしまいました。
そのお金で設けたカトリック教会が先ほど紹介したような豪華な芸術作品を生み出したといっても過言ではないでしょう。
そんなローマ教皇に疑問を投げかけたのがルターです。1517年ルターはラテン語で【95条の提題】を発表。間接的に教皇を批判しました。こうしてルターの出身地ドイツ、ヴィッテンベルクの街を舞台に宗教改革が推し進められていくのです。
だからドイツルネサンス美術は宗教改革と共にあると考えられます。ルターらはルネサンスの三大発明の一つである活版印刷技術をつかい当時、最先端のメディアであるビラやポスターで大衆に訴えました。
(ルネサンス三大発明:火薬、活版印刷、羅針盤)活版印刷技術はドイツのルーテンベルクで生まれました。
舞台となったヴィッテンベルク(旧東ドイツ)
ルーカス・クラナハ(父)「天国と地獄の馬車」1519年
発注者はアンドレアス・ボーデンシュタイン・フォン・カールシュタット。彼はヴィッテンベルク大学神学部の教授でルターの同僚である。ちなみにフォンは貴族、カールシュタッドは出身の街の名前である。(レオナルド・ダヴィンチも同じようにヴィンチ村のレオナルドという意味である)
絵は半分に分かれていて上の絵は右から左へ老人の乗っている馬車が文字の十字架の後ろにいる茨の冠を被ったイエスへつまり、天国に向かっている。下は悪魔を乗せた馬車が大きな口を開けた蛇のような怪物に飲み込まれそうになっている。これは地獄行を意味する。
このように活版印刷と絵を使ったビラは大量に印刷され瞬く間に拡散された。
アルブレヒト・デューラー 「《黙示録》木版画連作<四人の騎士>」1498年
左側wコラムの活版印刷
黙示録概要:神が天使に8つのラッパを配り、ラッパを吹くと災害がおこり世界が滅びる的な物語。人間の苦しむ姿がたくさんのメディアで描かれた。
痩せた馬に乗っているのが死神、左下に先ほどの絵と同様に口を開けた蛇のような怪物。この怪物は地獄を表している。
活版印刷技術はプレス機で金属の活字を組み印刷する技術。19世紀ごろまで使われる。