ドイツルネサンス美術Ⅰ
ドイツルネサンス美術に代表される画家は主に二人いる
ルーカス・クラナハ(父)(1472-1553)
自画像 1498年 プラド美術館
このデューラーの油彩画は当時イタリアの最先端の服装だと考えられる、奇抜なツートンの帽子、滑らかな質感の高級そうな手袋、四分の三正面観。
デューラーは1471年ドイツのバイエルン州のちょっと上のニュルンベルクで生まれた
このときドイツは神聖ローマ帝国である。
デューラーはニュルンベルクからイタリアのヴェネツィアに留学、このときドイツはまだ後期ゴシック(中世末期)だったがイタリアではすでにルネサンスが興っていた。
1500年といえばイタリアではラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロたちが活躍。
イタリアのルネサンスを知ったデューラーは没1528年までドイツルネサンスを浸透させた。
この時代の芸術家たちは自らの地位をアップさせるために常にパトロンを探していた。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの大パトロンはレオ10世教皇。レオナルドがヴァティカンの建築を任せられたのもこのレオ10世がパトロンだったから。
芸術家にとってパトロンは有名になる・後世に名を残すためには絶対必要な存在だ。
デューラーのパトロンは当時神聖ローマ帝国の帝王マクシミリア一世である。
一方のクラナハ(父)のパトロンはザクセン選帝侯フリードリヒ3世である。
選帝侯とはローマの帝王を選ぶ人たちのことである。
自画像 Stolzenfels Castleシュトルツェンフェルス城 1531
一方クラナハ(父)はドイツリッテンベルクに生まれあの有名なマルティン・ルターと宗教改革を起こす。
ルターはローマ教皇がドイツに対して贖宥状(免罪符)を販売したことに対して九十五か条の論題を発表して批判した。
ルターはラテン語で書かれている聖書をドイツ語に翻訳し国民に広めそれが後に
カトリック派からプロテスタント派(福音主義)を生み出すことにつながった。
クラナハの息子ルーカス・クラナハ(子)が書いた絵にもクラナハ(父)がルターとともに描かれている。
一番右からルター、クラナハ、聖ヨハネである。
ルターらは1460年代最先端メディアであった木版画でカトリック教会への批判を訴えた。
① ②
①贖宥説教師テッツェル ビラ 16c初期 悪徳牧師テッツェルを描いたビラ
②教皇アレクサンデル6世 3つの連なった王冠が教皇であることを表している。
Ego sum Papa:私は教皇